2006年05月25日

生まれ変わり

砂漠の道を4駆で走っていました。
私は今よりずいぶん若い様子でした。
私以外は、数人の欧米系の男女が同乗していました。

やはり同じように若くて。
それぞれが、これから何処へ行くの? と尋ね合って、
それぞれがそれぞれの行く先を話したりしていました。

私は、「西オーストラリア」と答えました。
そうして私たちは砂漠を走っていきました。

どこかの、「空港」のような所へ着いて、みんな別々のゲートへ
と、「じゃあね」と言葉を残して消えていきました。
私も「またね」と言って、歩き始めたら、係員の人に呼び止められて

「違う。そっちじゃないよ」と言われました。
「え? ???」

「君の行き先はそっちじゃない。日本だ」

衝撃が走りました。 うそでしょう???? と立ち尽くしたまま。
私は日本になど行くつもりがないこと、どうしても
西オーストラリアへ行かなくてはならないことを、
何度も何度も説明しました。でも、係員は頑としてそれを拒絶、
けっきょく、泣きながら一人日本行きの飛行機に乗り込みました。

というのは、以前に見た夢の中の出来事です。
非常によく覚えていますね。

どうして日本なんだろう、というのが昔からずっと私の中に
あった疑問の声なんですね。
どうしても向かない・・・所へやって来てしまった。
何度も脱出するチャンスはあったのだけれど、最後の所で
またここに戻ってこなければならない状況が必ず生じた。
もちろん意味のあることなんだけれど、
不思議ですね。

別に信じなくても全然構わないけれど、
人は何度も何度も、何千回という単位で生まれてきます。

一つ一つの人生に、特別な脈絡はありません。
この人生でたとえ、ものすごく辛い目にあっていたとしても、
それは前世での罰というのではないんです。
逆に今ものすごくお金持ちで美女で才女で、だとしても、
前世ですばらしいことをしたから、ということでもないんですね。

何度も何度も生まれ変わるんです。
そのうちの、たった一つの人生を取り上げて、カルマや因縁がどうの
と言ったところで、仕方がないことのように思えるのです。

生きているということは、ある意味、日夜カルマを生み続けて
いるということでもあるのだと思うし。

突き詰めていくと、「今日ものすごく不幸な私」も
「非常に恵まれた人生を生きる私」も、

「明日(来世)は我が身」
同じなんですよね。 そう悲嘆するものではありません。

同時に、今現在この世界でのた打ち回っている魂たちのことも、
あなたや私とは、決して無縁のものではないってこと。

一回一回の人生を、成長の過程と考えたいというのは
あると思うし、私もそう思っていたのだけれども、
どうも、それとも少し違うらしい。
まあ大きな意味では、成長の過程なのだけれども
そのために生まれ変わってくるのかというと、
ニュアンスが少し違うという気がする。

それでは何のために人は何度も生まれてくるのだろう。
続きは次回、また考えてみましょう。


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